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第26回「出版技術講座」記念講演と卒業式

 第26回「出版技術講座」は水曜夜9回と、土曜午後1回、オプションの製本工場見学を含め全日程を終えた。最終日の7月5日、記念講演と卒業式、交流会が開かれ5月10日から約2ヶ月の講座を締めくくった。

 記念講演は、大阪のアルゴ代表、千葉潮(うしお)さん、大阪の教科書会社での編集業務、デザイン事務所での編集・DTP業務を経て、編集者プロダクション「アルゴ」を開業、現在までの歩みを「関西出版界の夢と現実」と題して語った。大卒の女性社員が稀だった会社での勤務、退職と独立という歩み、岐路をピンチでなくチャンスとしてきた積極的な生き方、出版ネッツも含めて人間関係を大事にしてきたことなどが、受講生に感銘を与えた。
 卒業式は、講座運営委員会理事長、出版労連委員長の新村恭さんから、卒業の祝辞と、今後への激励のことばがあり、修了者のうち、時間の関係から皆勤賞の8人に修了証が記念品とともに手渡された。(なお、修了証は講義9回のうち6回以上出席者36人に発行)
 卒業式と引き続く交流会での、受講生の発言からは、今日で最後という安堵感とともに、寂しいという思いも伝わってきた。

 なお、交流会の二次会は千葉さんをかこんで、受講生、運営委員会メンバーが参加、また千葉さんのなかまである出版ネッツからの参加もあり、楽しい時を過ごすことができた。
 (運営委員会事務局)

記念講演は本文(続き)

記念講演「関西出版界の夢と現実」概要

編集・出版コーディネート アルゴ 千葉潮さん  
      
《関西出版界の特徴》
 関西出版界の市場規模は全体の10%以下との実感、東京と比較して流通コストの問題や、新しい版元の場合には取次の正味が低いなど厳しい状況がある。
 特徴としては、老舗が多い。もともと江戸時代には大阪は出版のメッカであった。小説、旅行ガイドなどが当時の刊行物。今は教科書・教材・学参出版社と専門書出版社が多い一方、文芸書・ジャーナリスティックなものは少ない。しかし、作家・学者など書き手は多く、文化・歴史の背景、西日本、韓国・中国が身近など題材も豊富であり、可能性はある。

《「アルゴ」の仕事》
 書籍編集・制作、社内報・広報制作、教材制作、企画出版・自費出版、その他(パンフレット・名刺など)。
 本職は? と聞かれる。イラスト以外は何でもと。中島らもの秘書だった劇作家・女優のわかぎゑふさんが、演劇界で生き残るためにいろいろやってきたと言うのを聞いた。わたしもそうだ。
 編集プロダクション・アルゴは何でもやりますと、そういうプロダクションが少ないから、なんとかやってこれた。
 一つ一つの仕事をチャンスとしてとらえてきた。なかまに助けを求めることもあり、求められることもあった。

《私の仕事歴》
 大学卒業後、教科書会社の編集部に採用されたが、男女雇用機会均等法の前で あり、おしなべて女性への求人はきわめて少なかった。著者グループのこねで入ったのが実情であるが、その会社が女性編集者を登用し始めた時期であった。OJT(on-the-job training)で編集技術を身につけていった。教科書担当で当時は3年のスパンであり、1冊目ができたとき感激した。
 当時は、女性に対しては子どもを早くつくってやめなさいといわんばかりの職場であった。同じ職場の人と結婚することになり、同じ職場ではまずいということで配転となって、入社5年で退職した。
 退職後、大阪の元気のいい女性たちがボランティアで運営していたアミ編集者学校に入学した。教科書づくり以外の編集技術、文章力、人脈を身につけたかったからである。40人くらいの受講生が5つほどの班に分かれてテーマを決めて取材し、1冊の雑誌を作る実習もあった。この時期に出版技術講座の下村さんとの行き来もあった。その間は建設関連企業で事務と社内報制作をしていた。
 アミを卒業後、デザイン事務所に入社し、広報紙、ムック、書籍の編集実務とDTPをしていた。OJTでデザイン技術と導入期であったDTPの技術を身につけた。
 4年後、フリー編集者として独立、編集プロダクション「アルゴ」を開業した。どうして独立しようと思ったのか?
 もともと35歳で独立しようと思っていたように独立志向があったこと。指名されて仕事がくるようになったこと。投資が比較的少なくてすむ、机一つから始めたように、独立が比較的簡単な職種であること。加えて不況時、女性、30代ということで再就職は難しい条件にあったこと。人脈を広げ、育てていたこと(起業するには不可欠。年賀状のやりとりが300~400なくてはといわれていたが、満たしていた)などがある。
 なによりも、岐路をピンチだと思うのか、そうでなくチャンスだと思えるかにあったと思う。独立の時に暖簾分けとして社内報を付けてもらった。当時700部だったのが、今営業ツールとしても使っているということで、3万部になっている。

《なぜ20年以上もやってこられたか》
 出版周辺で通算23年やってきたが、独立してから今までなぜやってこられたか。
 制作と編集実務(原稿整理、校正)もやってきたことが強み。「企画」は一番の根幹部分であり、なかなか渡してもらえない。
 大学時代に博物館を回ってカタログ作りを実習したときにも非常にたのしさを感じたこともあり、もともともの作りが好きだったことが幸いした。企画は渡してもらえないことは多いのだが、編集実務の中で編集者と話している中でおもしろい企画が出たりして、自分のアイデアを生かしてもらうようなこともある。
 DTP化の波に乗ることができたことも大きい。(組版だけやっていると思っている人もいるくらいだが。)
 広報・社内報の仕事を受けることで、企画と取材から取り組めたこともよかった。
 編集プロダクションの仕事は次の3パターンがある。
 パターン1 企画以後はすべて。原稿がある場合も、原稿依頼からということも。
 パターン2 自分のところでほぼすべて企画。これが一番やりやすい。
 パターン3 自分のところで企画・発行するという「欲」がでるようになる。1月に仕事論の本を出した。スポンサー付きだが、やはり売るのが一番大変。
 今後やっていくことは、後進の育成(なかなか難しい)、企画出版(いろいろやりたい)、経営、ということだが、経営は編集とは別のセンスが必要で、厳しいものがある。

《出版社と編集プロダクションの関係》
 関西でも、出版が若手を育てていないために、編集プロダクションに「丸投げ」が増えてきている。
 版元体験も踏まえて、プロダクションをうまく使うために一言。企画意図を明確に伝えること、納期・価格・支払期日をはっきり伝えること、プロダクションの個性をつかむこと(コネで依頼するのはやめよう)

《人間関係を大事に》
 本づくりは、何の仕事でもそうだが、チームプレー。著者と編集と営業、とくに編集と営業とはマッチしにくい。しかし、書店やマーケットを知っているのも営業なので、意見を聞くことと一緒にやって行くことはじつは大切。
 フリーランサーも一匹狼とは必ずしもいえない。上下関係、毎日の通勤ということがないため、「会社的常識」に欠ける面はあるかもしれないが。
 コンサート、パーティー、勉強会、何でも自分で企画していこう。そうすると、人脈を増やすことができる。生きた知恵や知識を得られるチャンスが増える。インターネットの知識は生きた知識ではない。
 出版ネッツ関西も、関西フェスタで仕事の成果や能力、意欲をプレゼンテーションし、名刺交換会兼新年会を開いたり、営業ツールとして「フリーランサーズガイド」を制作したりしている。
 今日参加しているみなさんのうち、本作りにどの位残るかはわからないけれど、忙しい中を毎週来ている、今ここにいるあなた同士の関係が大事。


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